祖父が死んだ日
2020年は記録の年にすると決めていた。
12月初旬からずっと決めていた事だ。
理由はともあれ、決めた事なのだから守らなければならない。
だから記録する。記録するしかないのだと、この文章を記録している。
今まで起こった悲しい事も、嬉しい事も、いろんな事を忘れてしまわないように。
(あくまで記録なので、読み物の体は保証しません)
【祖父が死んだ日】
~12月25日~
・母が病院から帰って言うには「祖父にガンが見付かった」との事。
「手術にも投薬治療にも身体が耐え切れない」「胃に転移しているのが新たに見付かった」「経過を観察して判断する」
そう云った内容を実兄に電話で伝えているのを聞いて、自分は他人事のように聞いていた。
最後に会ったのはいつだったろうか…
大学2年生の授業のあったみどりの日だから、もう4年は会っていない。
施設で転んでケガをして、施設から病院へ移った時にも、見舞いにも行かなかった。
どうなるんだろうか?手術代とかあるのかな?
会って容体を確認してないからか、ぼんやりとした考えにしか頭に浮かばなかった。
仕事帰りで疲れていたのもあるだろう、深く捉えず、その場を後にした。
現実を思い知るのは翌日になってからだった。
~12月26日~
・珍しく早くに目が覚めた。夜遅く仕事から帰ってくる自分にとっては早い時間だ。出勤まではまだ時間がたっぷりある。さてどうしてやろうかと布団の中で英気を養っていたら、ドアをノックする音が聞こえた。妹だ。
「おじいちゃんの具合が悪くなったからお母さんが病院に行くって…」
「私達も出られる準備をしといて、だって…」
そう告げられた時、一気に血の気が失せたのを憶えている。
––昨日の今日だぞ?そんな事ってあるかよ?やっぱり寒さが...仕事どうするべきか?出勤前だから話をつければあるいは...…そもそも今働いている姉はこの事を知っているのか?父は一緒に病院に居るのか?折り返して連絡すべきか?ひとまずは着替えるべきか?––
多くの事が頭を駆け巡った時に、再度妹が告げた。
「留守電確認したら...おじいちゃん、亡くなった、って...」
・気持ちの整理は全くつかないまま、ひとまずは職場に向かった。
妹のバイトが無いというのを確認した後「出来るだけ父と母のサポートをしてやって欲しい」「俺は仕事が有るから」と逃げたのをはっきりと憶えている。駄目な兄貴だ。
取り敢えずは駅に向かいながら、今後休むかもしれない旨を職場に伝えた。
職場の全体LINEに「祖父が亡くなった」と打ち込んだ時は思わず顔をしかめて、歩みが遅くなった。文字にするといっそう辛い...その時はそうとしか思えなかった。
・仕事はいつも通りに事が進んだ。
と思ったが、こんな時に限って過去の因縁と云うのは付き添ってくるもので、
一年前に居た部署へ出向する理由があったから、複雑な面持ちで向かった。
去年は逃げる様にしてここから出たんだっけ。一年前の業務の記憶が殆ど無い。いつ来ても落ち着かないし緊張する。
そうして周りを見ていると、今年の6月に入れ替わりでここに異動した同期君が居た。つい昨日「29日に忘年会でもどう?」と折角誘ってくれたのに、行けない理由を説明して謝った。
・帰りの電車で、周りを見る。
忘年会帰りの酔客や吐瀉物等が一気に年末ムードを放っている。
当たり前だがみんな幸せそうだし何事も無かったかの様に世界は回る。
使い古された表現だけど思わずには居られなかった。
みんな楽しそうで何よりだった。もうそれでいい。
息をするかの様に使っているTwitterも今日はそんな気分になれず、
見るだけで何も呟かなかった。
姉と妹は「喪中につき新年の挨拶は控えさせて頂きます」とだけ呟いていた。
多くの人とやり取りする二人にとっては、さしあたっての報告の必要があったのだろう。
もしくは、持て余し気味の悲しみを和らげているのかもしれない。
そういやよくよく考えたら自分には挨拶も近況も分かち合う様な人なんて最初から居なかった。
・家に帰ると「3月のライオン」最新刊が家にあった。
折り返しのカバーの時点で異常な何かを察したら、各話の空きページとあとがきで全てが書かれていた。
お父様の最期と、愛猫ブンちゃんの顛末。
今の状況で読むには身につまされる思いで一杯で、巻末ページで涙が滲んだりと、
かなり辛い読書体験になってしまった。
ただ、そんな状況だからこそ、そんな状況で描かれたという彼らの物語が、とても愛しく思えて、とても輝かしく見えて仕方が無かった。
いい作品に出会えてよかった。
(あと零くんがやっとひなちゃんとくっ付いてくれてよかった)
羽海野チカ先生、楽しい物語をありがとうございます。
願わくば香子おねぇちゃんの出番をば。
・「乙嫁語り」の最新刊もあった。
森薫先生は変態だと改めて確信した最新刊だった。
~12月27日~
・今日も仕事。他の家族は納棺に立ち会うと足早に家を後にしていた。
仕事内容は年末に向けて加速の傾向を見せていた。年始が一番の稼ぎ時であるから、当たり前の話ではある。
ただ、仕事の時だけは悲しみに暮れる様な暇も無かったので、それが救いだった。
・一番危ういのは仕事帰りの疲労している時。考えが無限に下へ行く。
「なぜ死ななければならなかったのか?」「なぜ俺は立ち会わなかった?」
果てには「俺は仕事でいくらでも苦しんでもいいから死んで欲しくなかった」と全く意味も無い後悔ばかりを考えていた。
目の前に貨物列車が走っている。
変な事を考えるな、必死に、虚ろに、言い聞かせながらどうにか帰っていった。
・自分宛に荷物が届いていた。
「エスプレイドψ Drive Waves 2019」、頼んでいたサウンドトラックだ。
元作品の舞台がクリスマスと云う事で、この時期に来たのだ。
PCに入れてみたら曲情報が無い。いつもだったら喜び勇んで手入力を行っていたが、流石に難しいと判断。未タイトルのまま転送し、元気になったら聴こうと思う。
~12月28日~
・起き抜けに玄関まで降りてくると、色々な物が片付けられていた。
代わりに白い布が掛かった雛壇みたいなものが鎮座している。大きい写真立ての隣には、白い座布団置かれている。
意味がすぐに解ったが、逃げる様に着替えて家を出た。
・いつもの様に仕事へ向かう。今日は他の部署へ顔を出す用事があったので、点々と部署を回っていった。今思うとそこで会った人の顔と名前がマトモに思い出せない。認識していたかも怪しく、後の書類作成に大変苦労した。
思い返してみれば、色々な局面で細々としたミスがあった。
明らか周りの人もどうしたものかと、自分に対して態度を持て余していた様に思えた。
よせばいいのに自分も「事前に言っておいてくれたらなー」なんて言っては
自分でダメージを負ってたりした。
売り上げがいつもの4倍近くだったのが救い。
~12月29日~
・午前0時半に帰宅。提出する領収書がどっか行ったかで30分ゴミ漁りしてたら退勤が遅れ電車も遅れで気付いたらこんな時間になっていた。朝のドタバタで鍵を忘れたので、消灯された家を見て焦りを感じるも、普通にドアの鍵が開いていた。田舎か。
思えばこの頃、みんな寝るのが早かった。やっぱりみんな、疲れ切っていたのだろう。
家でマトモに起きていたのは自分だけだった。正直、誰か一緒に居て欲しかった。
・重い荷物を降ろして一息吐いた時、ふと居間を見やると昼間には無かった物があった。祖父の似顔絵の入った写真立て。一目見た瞬間にもう立って居られなかった。
上着を脱ぐのも忘れて、膝から崩れ落ちて、声を押し殺しながら泣いた。
そしてここで愚かにも、やっと、初めて痛感した。
もう祖父はこの世に居ないのだと。
・10分位経った時に泣き止み、顔を上げた。
自分の垂らした涙と鼻水があまりにも汚かったからだ。
「汚ぇ……」
そう呟いて掃除へと駆り出させたのが、泣き止む大きな理由だった。
往々にして自己肯定力の低い人間は、自らを下げる事で自己を確立させる。
今回はそれがいい方向に働いたのかもしれない。そう思いたい。
・掃除の時に似顔絵と目が合った。
込み上げるものはあったが、流石に第二波到来とまではいかなかった。
よくよく見てみたら妹の絵の様に見えたが、タッチが父の絵にも見える
(二人の描く絵のアタリはかなり太い、そのせいか疎い自分は)
明日正解を聞こう、これも忘れないでおこう。そう思ってPCを立ち上げた。
・立ち上げたPCにこれまでの日々の記録を書いていった。とにかく記録した。忘れないように。思い出せるように。ご飯も最初はどうでもよかったけど、お腹が空いたのでちゃんと食べた。ボンカレー中辛。「ボンカレーはどう作ってもうまいのだ」『ブラック・ジャック』の台詞を思い出す。
そういやしんどくて辛い時は思い出した様にブラックジャックを読んでいた。数々の物語が僕に生きる勇気を与えてくれたのものだ。落ち着いてきたら読もう。風呂にも入ろう。
・テーブルを見ると、明日以降のタイムテーブルが記載された用紙が見付かった。
これは一目見て解る。父作成のものだ。昔っから旅行の際だとか団体行動時には、余裕と自由時間を組み込んだワンランク上のガチガチの予定表を作っては、自由人極まりない自分達をまとめ上げていたのだ。妹のバイトシフトから姉のCDお渡し会参加まで驚異の把握っぷり。
しかも通夜振る舞いの項に「おばさま方の相手」「子供係」ときて「おっさんの酒の相手」と茶目っ気たっぷりのオチを用意している。
今後の参考の為に、大元のデータとか貰えないかも明日聞いておこう。
「この先こういったのを自分が作るかもしれないから」
なんて一瞬でも思った事は決して言えないが。
・用紙には2枚目があった。通夜・告別式の受付手順をまとめたシートだ。
書かれた文面を音読して、明日の通夜への手順を覚えていく。割り振られた仕事は受付。
「お忙しい中お運び頂き、ありがとうございます」「ご記帳をお願い致します」
場を想定するだけで、別れが現実味を帯びて辛くなってきた。
だが、やり遂げなければ。現実から目を背けて、特に何もせず、周りに負担ばっかり強いている、随分と虫のいい話だが、情けない孫の最後の孝行として、しっかりやり遂げたい。
意志を固めると同時に――意思を固める為にも――ここへ記録を書き連ねていった。
時間を見ると午前5時を回っていた。思えば少し頭も痛い。
タイムテーブルには「15時出発」と書かれていた。
少しでも多く寝ておくべきと判断。床に就く。
・多く寝過ぎて12時に起きる。突発的に思い立ったとは言え5時まで起きていたのは賢くない判断だった。発掘したスーツ類にアイロンをどうにか押し当て、昼食を掻き込み出発。
・改めて痛感したのは、こういった事が起こった際の一人でいる事の辛さ。斎場までも一人だったら多分通夜にも参加出来なかった様にも思える。
今の自分を突き動かしているのは義務感。受付の仕事があるという役割がどうにか繋ぎ止めているに過ぎない。
……やり遂げなければ……
そう思う事でどうにか心を麻痺させていった。
・斎場に到着。
来て早々に受付の打ち合わせ。
……を嘲笑うかの様なイレギュラー対応に告ぐイレギュラー対応に翻弄され続けた。動じない心が欲しい。
ただそれに文句を言うのもおかしな話なので、自らの修行が足りん!と云う結論に。次は(無いのが一番だが)もっとうまくやります。
・「線香をあげなさい」と父に案内され、棺の中の祖父と対面する。
寝ているかの様な安らかな顔を見て、物凄く心が苦しくなった。
唇も赤みがかって、それこそ本当に、生きてるんじゃないか?と思わせるくらいには綺麗な顔だった。
「縫った手術跡もメイクで目立たなくして貰ったんだ」「棺に入れる前にシャンプーもしてたよ」と、鮮やかな仕事振りを教えて貰う。こういった心遣いで救われる遺族がどれだけいるんだろうか……
救われた一人として、仕事に敬意を払うのだった。(エンバーミングと言うんでしたっけ)
・隣に昨日見た似顔絵がある。更には立派な写真までも。
「誰が描いたのか」と聞いたら父のものだと答えてくれた。曰く「遺影に使った写真が笑顔じゃないから、せめて絵の中でも…と笑った似顔絵を描いたんだ」との事。この理由を明かされてまた泣いてしまった。それを受けて、
「あれしか写真に替わるものが無いとすっかり思い込んで『生きててごめんなさい』『ごめんなさいごめんなさい』とひたすらに泣き暮れた」という先日の事実を語ったら「それは違う」と方々から一刀両断されてしまった。
……取り敢えず写真があって良かった。
・つつがなく通夜は終了した。歓談しながらの会食の席は朗らかに盛り上がった。常日頃から会話の多い食卓なので、外であろうと、むしろ外だからこそ、各々が小技を効かせて、いつも以上に会話をするのだった。
そもそも祖父に関する逸話が面白いのが一番ズルいのであるが……
(語りたい気持ちはあるが何かと「触れる」ので割愛させていただきたい)
・と思っていたらいきなり胃に激痛が走り、トイレの個室へ駆け込んだ。
脂汗が一気に吹き出して立っても居られない。祈る様にして痛みの波が消えるのを待った。
原因は連日の乱れた食生活と心労がたたったのだとは思うが……
ふと思い出すのは祖父の死因。
もう少し胃を労ろう、そう思った。
~12月30日~
・6時に起床。胸の辺りにつかえがある。
最近の朝はずっと胸焼けが起こる。
ゆっくり休みたい、身体が、精神が、切に願っている。
・天気は曇り。
タクシーに乗って向かう際にはもう雨が降っていた。
吹き付ける風の寒さが容赦無い。
誰かが言った「涙雨だな」と言う一言が忘れられない。
・昨日に引き続き受付の仕事を行う。
イレギュラー対応ばかりだった昨日に比べたらちゃんとこなせた方だった。
「お忙しい中お運び頂き、ありがとうございます」発せられた声に自分でも驚く程に、悲壮感が込められていた。
同時に、来てくれた人への感謝の気持ちでも一杯だった。年末のこの時期に、あまりにも急で、自分でもおよそ信じられない出来事に、心を悼めて、寂しくないようにと駆け付け、見送りに来ている。
これに感謝を表せずにいられようか。
皆様、本当にありがとうございました。
・法要も終わり、出棺の儀へ移る。
この辺りから意識が中空に浮いた様にぼやけてくる。掴み所の無い、例え様の無い気分で胸が圧迫される。
火葬場では○○様と、自分達と同じ、他の家族も集まっている。
彼等もそうなのか、あなたも……
すれ違った人々にそれだけの悲しみがあった。少なくとも自分にはそう感じられた。
・去年もう一人の祖父が亡くなった時は、火葬と云うものがあまりにも残酷な処刑に思えてしまい、収骨の際に気が動転してひたすら泣き続けてしまった。
今回はどこか違った。理解は出来る、だが未だに納得が出来なかった。
「母の遺骨を食べたいと思った」と云う書籍があったのを思い出したが、どことなくそれに近い気分だった。
ここで全てひっくり返したら、なかったことにならないだろうか――
ひょっこり生き返ってくれたりしないだろうか――
そんな気持ちとは裏腹に、係の人は丁寧に丁寧に、粉すら残すこと無い様にと、骨壺へと収めていった。
・帰りは晴れていた。
遺影を持ち、骨壺を持ち、その他重要書類を運ぶ。「降ってなくて良かったね」と母が語る。そうだねと返す。
降り続けていたらきっとこんな気分にもなれなかった。下ではなく前を向いて帰途へ付く。手に抱えているのは骨壺。
先程みたいな罰当たりな感情は消え失せていた。今となってはこの壺こそが、こちらと向こうを繋ぐ唯一の存在なのだから、きっちり前を向いて歩いていく。
・誰も彼もがご飯を作る気力が消え失せていた。買い出しすらままならない。なので特に故人の思い入れがあるわけではないがピザを注文した。胃を労るとは。
到着した際の暖かさ、店員さんの丁寧な対応が物凄く心に染み渡って、不意に涙が出てしまった。どうやら感情の降り幅がおかしくなっているみたいで、家人に言ったら笑われてしまった。
ドミノピザさんありがとう。
・語らいながら、祖父の思い出を語る。
決して誇れる様な孫ではなかったが、本当に可愛がってくれたなぁと、今更になって思う。
いなくなってから気付く馬鹿な孫でごめんなさい。
・印象深かったのは父がぽつりと漏らした言葉だった。
「大事な娘さんをいただくと言うのに、相手の男が頼りないってんじゃ話にならない」「だからお義父さんが困った時は全て手伝ってきた」「そしたら向こうも本当に良くしてくれたんだ」「『俺はこの人を裏切れない、この人には手抜かりで裏切る真似をしたらダメだ』、そう思ったから似顔絵も描いた」
言葉の節々から同じ男として、ものすごく大切にしなきゃならない心構えを言われた様な気がした。それは目の前の父からだけではなく、孫の前で「息子」として父に接する祖父の思い出からも教えてくれた様にも思える。
果たして自分はどうだろうか?
これは残りの人生で問われることだろう。肝に銘じていきたい。
~12月31日~
・今日は大晦日。幸か不幸か公休日。
むしろ幸、本当に疲れた、泥の様に眠った。大掃除も勘弁してください。
・大人のピタゴラスイッチを録画。
新作をやらなくなったのが悲しい。
なので「デザインあ おとな版」の録画予約もする。
・そんなこんなで過ごしていたら、上司から昨日申請していた有給が却下された連絡が来た。
理由は日程と場所の記載漏れだとか。
何を言っているか全く解らなかった。
そもそも忌引が使えず有給申請(この時点で相当アレだが)していたのがこんな形で却下を喰らうとは思わなかった。
急過ぎる事態で特に連絡も店長くらいにしか出来なかったとは言え、こんな事があるのかと絶望した。上層部が何を考えているのか分からない。
事由から考えるに電報でも送る腹積もりだったのか(だったらそもそも忌引きで別で管理しろ、毎回の有休に日程と場所を聞くつもりだったのか?)
もしくは本当に法事で休んだのかの裏付けを取りたいからなのだろうか。他にもアレな前例しかないのを知っているから多分後者であろう。
いずれにせよ「疑われたと言う疑念」「人の死にわざわざケチ付けてきた」なんて不信感を抱くのには十分な理由だった。悲しみに暮れていた昨日とは打って変わって、腹の底から沸々と違う感情が沸き上がってきた。
取り敢えず2020年の目標がもうひとつ決まった。
・ 夜も更けて、鍋を囲む。
各人今年の振り返りをぽつぽつと話していく。
仕事だったり、趣味の話だったり……
自分の2019年は何かと怒濤の一年だったなあとしみじみ思う。来年はもう少し嬉しい事がありますように。
~2020年1月1日(水)~
一週間が経った。
2020年は記録の年にすると決めていた。
理由はともあれ、決めた事なのだから守らなければならない。
だから記録する。
とりあえずは…
仕事の前に手帳を買いたいと思った。
これから起こる悲しい事も、あるかも解らぬ嬉しい事も、いろんな事を忘れてしまわないように。